FullLabo day's

なるべく頻繁に更新したい近況報告と展望なんかのブログです。

無駄なやる気が出てきた件について

昨日、地元に帰って必要なものを取りに行ってきたのですが、なんというか引き篭もるのに最適な環境ばかりが揃ってきていてこれを生かす手はないだろうかとふと思いついたので、何かやろうと思います。

まぁ言ってしまうとラブパレードに行った時に自分の人生終わったなと思う体験があってそれからはもう余生になってしまったので、無駄に時間だけが過ぎてきた感じが拭いきれません。ちょうど30になる年にそれがきてしまったので中々その後が辛かった訳ですが、一応次の目標としていたアムステルダムで生活するくらいに滞在する事も果たしてしまい、したい事が無くなってしまった事で年末からここ最近まであっという間に時間が経ってしまって、ハッと気がつくともう冬も過ぎて春がもうそこまで来ている事に驚いている訳です。

今回のオランダ旅行で一番印象に残った事が音楽ではなくて、実はゴッホ美術館だったりします。父の影響で絵画は子供の頃から身近なものだったので抽象画や抽象的表現の芝居(暗黒舞踏とも言われたりするのかな)なども小さい頃から身近にあったので、抽象的である事に不自然さを感じなかったですね。
父は親としては如何かと思うタイプの人なのですが、芸術を身近にしてくれた事には感謝しています。
まぁそんな事もあって、個人的に写実的である事は重要ではなくてよく判らない魅力のようなものが有る物に惹かれるようになったように思います。
ゴッホなんですが、実際すごかったです。物って実物からしか感じられない事ってあると思っていて、その存在感がすごくて、高額で取引されるのも納得してしまう作品群だった訳です。個人の印象でしか無いので言葉で言ってもしょうがないし、また言葉で伝えきれるものでは無い存在感だったのですよ。
鬼気迫るとはああいう作品のことだと思います。
実際のところ人物とかは写実的な見方をすれば下手だと思います。多分そこに重きを置いていないのだと思います。感じる何かを描き出そうとしている事が感じ取れるのです。なんらかの衝動に駆られてものを作る事の素晴らしい結果として存在している作品群を見て思った訳ですよ。何かを作る事がしたいなぁと。
その衝撃があって帰って来てしばらくは人と関わるのがちょっと辛かった時期が続いていたのですが、やっとなんとかそこから抜け出した感じがあってタイトル通りの状況になって来ている訳です。でこんな歌があるので見て頂きたい。

www.youtube.com

力が抜けてるというか無理はしてないけれど悲観もしてないし、未来を諦めてもいないけれど、押し付ける感じがないと思うのですよ。
この曲に救われた感じがして今のなんとなくな感じのやる気を感じていた時に、追い討ちをかけるようにボブ・マーリーのドキュメントを見たんですよ。
amazonプライムに入っている方は無料なので見てください。。
左だ右だっていうのも何も解決する気がないんだなと思うのですよ。

思想を語ると同じ土俵なような気がするのであまり語りたくありません。

世の中クソだっていうその世の中に自分はいないんだなと思うと残念でなりません。以上。

で無駄なやる気を後押ししてしてくれる要因にこの状況が絡んでいたりするわけです。

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おかしなものは写ってないと思いますがターンテーブルが使えるようになってアナログレコードやっぱりいいわーとか最近のエントリはなんだったのかって話ですが使い慣れてるミキサーがあるだけで快適です。今時のDJには信じられないような最低限の機能しかないんですがこれで十分なんですよね。
レコードを引っ張り出して来て自分のレコードの扱いの悪さに改めて反省していたりするんですが個人的にミキサーは海外製品の方が好きです。出力される音の感じとか、つまみの配置が日本人サイズではないので窮屈な感じがしないのも好きです。まぁ確実に高音域が減衰してるんだろうなと、MACから光ケーブル出力でデジタルアンプでスピーカーを鳴らしているのでそちらと比べると違いは出るんですが自分の部屋でくつろいでるような安心感があります。気が付いたのは不思議と慣れてるミキサーだとパチパチノイズの感じが嫌じゃないんですよね。微妙に歪んでるんだろうなと思うんですが果物も熟してからの方が甘みが強くなるようなものでしょうかね。ボールペンの方がスッキリしてるけれど毛筆の方が表情をつけやすい感じに近いですかね。そんなに器用ではないので自分の不器用さを自覚させてくらいの方がいいんです。日本で300km/hで走る車なんて車がかわいそうでしょ。そんな感じで捉えてます。

相変わらず要点がまとまらない文章なのですが、外的要因で結構変わるものなんだなと思ったりもするし、内的要因もないと変わらないのもそうだと思うし、西洋かぶれだけれど、根本のところで日本的だなってのも外国で若干でも過ごしたことがあるからわかる気がします。日本の文化好きですよ。雪月花の侘び寂びが感じれる日本人でありたいと思うし、大は小を兼ねるけれど過ぎたるは及ばざるが如しな訳ですよ。北陸の生まれの傾向なのか成金趣味的な感じはちょっと辛いというか痛いです。「桃花片」を読んでかっこいいと思ってしまう感覚です。基本自分の書く文章のそこかしこに性格の悪さが滲み出てる文章だなとも感じながら、でもそうやって進める方が楽しかったりするし、断定的な事を言うより話が広がりやすい気がするんです。宗教への疑問みたいな感じです。偉大なる師リー先生もおっしゃています『Don't think! Feel.「考えるな!感じ取れ」』と!!

でその視点を拡大解釈して自分なりの見せ方みたいな事を音を使って出来たら引き篭もってるのも意味が有るかなとか、結局自分の事かって話ですけれど、人の為に何かしてあげたいって言っても引き篭もりなので人との距離感が掴めないので自分基準で気持ち良い事の方がまだ解りやすいと言うかそうしか出来ないのでなんか形にしてみようって感じです。近日に具体的になことが話せるといいなと。

曲の雰囲気 あと音響機器について思う事

なんだかんだ曲を作る原動力としてこんなシチュエーションで聴きたい曲を作ろうと言う感じがありまして、結構具体的イメージは出来ているのです。
基本屋外で芝とか生えてるといいですね。公園とかでもいいんですができれば周りが木に囲まれて方がいいですね。晴れてる方がいいですね。そんな場所で緩めのテンポで酒を片手にダラダラ夕方までっていうのが、ある時期から頭から離れなくなりましたね。
ラブパレードの初期の頃のアフターパーティだかプレパーティーだかの映像でそういうのがあって、初期のラブパレードはベルリンの戦勝記念塔を中心に東西の道路を大音響が出る改造した大型トラックが何十台も連なってぐるぐる行進してお気に入りのトラックの後をついて踊るっていう感じだったのですが、割とその道路周辺は公園になっていてその場所でやっていたらしいパーティの映像がそれで、その頃ガチガチのミニマルテクノ好きだった自分に、ああこういう力が抜けてるのは楽しそうだなぁと。(自分はラブパレード10周年の98年に実際に行ってきました。これはこれでまた色々すごい体験をしたのですがそれはまたの機会に)


90年台は日本でもシークレットレイブ的なものがそこそこあって、場所の告知がフライヤーオンリーで本当にイベントができるのだろうか心配になるくらいの山道を進んで行って街灯なんてないので懐中電灯必須とかのイベントに行っていた自分にすればヒッピー文化の変形的なもの(ドラッグパーティー的側面が強い)ではない、エレクトロニカ(現在よく使われるものとは違う初期的な意味の)は機能的で、かつ自然体な感じがただただかっこよかったです。
環境の違いなのでしょう、いろんな音楽を聴く事ができる環境がある場所で発達したエレクトロニカにはいろんな要素が無自覚に入っていて、弦楽4重奏を身近距離で生で聞いた事があると低音と中高音のバランスや体感する音圧などが無意識に記憶になるのかなぁ、思うほどフランスの南部の都市では音楽が触れる機会が多かったのを感じたし、連日飲みに行っていたバー(というにはちょっと大きいのだけれど)にしても結構大きめのスピーカーがあってうるさ過ぎず、物足りなくもない音量でなっていたのもやっぱり文化の違いを目の当たりにした一つでした。
10代後半から音楽が楽しくて生活の中心になった自分にとってみれば理想的な生活なわけです。中学の頃から洋楽に触れていて古いジャズから伝説的なロック、最新のチャートものも同一線上に聴いていたのだけれど(FMラジオは偉大でしたよ)レッド・ガーランドローリングストーンズと笠置シズ子とプリンスが同じ時間の帯番組で流れるとかいい時代でした。

タイトルからずれてきた感があるので修正して、いろんなジャンルの音楽はそれぞれ特徴があって自分のフィルターに引っかかるところがあって、気持ちが良かったり、聞き入ったりするわけで、一つのジャンルにそれを求めるのには無理がある感じがするのですが、間口も出口も広いものが使いやすいわけです。昔知り合いの子にテクノが好きなんですよって話してピコピコ音のあれって言われた時のガッカリ感は結構辛かったりしたんですが、ゲームミュージックとテクノミュージックがイコールな感じがなんとも超えられない壁な感はあって、でも言葉がなくてもイメージを作る作業としては最適かとも思うのでなんとかしたいなぁとは思いつつも、細分化し過ぎた感もあるし、ダンスミュージックがなっている場所の廃れた感じもなんとなく感じてはいるし、”クラブミュージック”はもう過去のものなのかなとも思ったりするわけです。ヴァーチャルは否定はしないのだけれども体が震える低音とかテンションが上がる中音とか空に吸い込まれる高音とかはやっぱり直に聞いた方が経験として残るのじゃないかなぁと思うのですがね。
実際作るものとして日和ってる感は感じてはいるんですが、かと言ってシルベスターとかネタにする人間がどれ位居るかってのもあったりして、自分の普通は他人の普通とは違うわけで、どの層に向けて作ってるのかと自分でもよくわからない状態ではあるし、まぁ公開方法をもう少し考える必要があるなとは思っては居るのだけれどオランダから帰ってきて3ヶ月以上が経ってやっと経験と考えの整理がつき始めた感じがあって、エフェクトはやっぱりエフェクトでしか無い事も感じてきたし、いろんな事が衰えてきてる状態を受け入れてできる事があるんじゃないかと思って、長文のブログを書くことにも面白味を感じていたりすることの一つでもあったりして、ようやく日記から脱した感があるかなと思います。

こんな記事を書きながら今年に入って一番聞いているであろうのがこれだったりする自分はよくわからないです。

www.youtube.comヴォーカルの定位とかベースの響き方とかストリングス音量とかこれが自分の生まれる前とか音楽は何が進化してきたんでしょうか?
まぁこのころの人たちは本当に歌が上手いのでリバーブが少ないのもつい聞き入ってしまう所だったりします。自宅の音楽環境のグレードアップをトライ&エラーで色々やってきていてそれがいい状態になってきているのもあるかなとも思っています。実験を兼ねて自作のスピーカーボックスを作っていたのですが、そのスピーカーが思った以上に良かったのがハマるきっかけでしたけれど、これも実際試してみないとなんとも言えないし、設置方法とかで音が変わるんですよね。話半分でネットを調べたりしてたんですが、スピーカーコードを付け替えれるタイプのシステムを持っているいる人は一度変えてみてはいかがでしょうか。
これなんかおすすめです

BELDEN スピーカーケーブル 8470   Amazon CAPTCHA

8460て番号のものあるんですけれど、全く違うものでも無いので、インスピレーションでいいのでは無いでしょうか。この値段帯だと頭一つ飛び抜けてます。まぁ好みの問題もあるんでしょうけれど、素直な音が出てくるのでいいと思います。高いアンプよりもこちらを変える方がいいと思います。
あとこれも良かったのですが最近国内だと売ってないかもしれません。

HiVi B4N
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自作用スピーカーは国内だとフォステクスのシリーズが手頃な値段から揃っているのですが、見た目が良かったのとメーカーのホームページに行ってみるとミッドベース用ではなくてフルレンジ用だったので、試しに買ってみたんですが透明度が高い音になったように思います。最初ツイーターのついた箱にそのままつけてみたのですが、結局ツィーターの配線を外してしまいました。無理して高音を出している感じがなくなって聴きやすくなりました。音響製品の面白さというか鬱陶しさというか最近のフルデジタルのもならそうでも無いのかもしれませんが慣らしをしないといけないのです。ある程度当たりが出たらそこからまた微調整みたいな感じになるのでなかなか飽きがこないので、RPGでじっくり育てる方はあってるかもしれません。パラメーターを1目盛り上げる感じでインシュレーター変えるとかの感覚ですかね。まぁこれもお金をかけずに効果を確認する方法を考えるのも楽しいです。自分はスピーカースタンドから自作してみたりするので終わりが見えない感はありますが、最近は今の構成が結構気に入ってきているので、スピーカーボックスの製作を考えているのですが焦らなくてもいいかなと。

木材加工って案外高いんですよね。NCルーターの加工は習ったので作業的にそんなに大変では無いのは知っているのですが、プログラムは知識がいるのでその値段なのかとも思いますが、ちょっとぼったくり感はありますね。4インチのスピーカーの箱が原材料が3千円くらいなのに加工したら1万超えるとか何事かと思うわけです。しかもどう加工するかも頭に描けるので余計に手が出ないです。機材を揃えてもいいのですが置く場所がないのでそれもままならず、色々ジレンマが募るのですが、そんなに不満が出る状況でもないので、そのうちにやろうかなと思う程度です。元々凝り出したら止まらない完全主義的側面が強かったのですが、完全などないしのんびりやっていこうと思えるようになったのは年齢のせいかとも思います。まさかスピーカーの固定に本当にレンガを買うとは自分でも思わなかったですよ。効果があった気がするのはプラシーボ効果ですかね(笑
でも圧縮音源はデータ量が減ってるのは解るぐらいのセットは組めたのではないかと思うので、あとは本当に細かいケーブルとかを変えて自己満足を満たしていく事でしょうかね。

まぁ今のセットだと息遣いとかピアノのタッチとかが以前に比べてわかるようになったので電化してない音源が楽しいのはあるんですよ。

youtu.beこれのブラシの音とかベースの音とか自分が生まれる前の音源とか信じられないんですよね。演奏がいいのもあるんですけれどもマイクの性能はそんなに進化していないので割とこういうものに関してはyoutubeは消さずにいてくれてるのはありがたいです。マイクをどこらへんに置いてるかもなんとなくわかるのが楽しいです。ヘッドフォンでもいいって人がいるかもしれませんがあんまり耳に負担はかけたくないんですよね。何でもかんでもハイレゾっていうのもあんまり同調できません。聴きたいものが見つからないのもあるんですが、高すぎる感じがあるんですよ。昔のアルバムのリマスターという名の加工を施してあるものがいい値段しますよね。あれってアーティストにちゃんと還元されるのか疑問なんですよ。似たようなことがCDでもあった事はなかった事ですか。そうですかって言いたくなります。
音楽業界の衰退は体質の改善が起こらない限り必然かなって思います。誰が音楽をユーザーから遠ざけてるのかってのはいつも思います。やっぱりアーティストに直接課金できるシステムができたらいいんですがいろんな問題あるんでしょうね。
なくなったアーティストとかどうしようもないですもんね。
だからと言ってアナログ盤のパチパチノイズはやっぱり我慢できるレベルではないのでそこには戻れないですしね。
今回も長くなりました。ではまた。

動画をあげてみたけれど(youtubeに隔離された件)

お気に入りなんだけどここがこうだったらもっと自分的にいいのになってことはないだろうか?
あんまり物には執着はないのだけれど音楽は好きなわけで、昔に比べるとやれることの自由度が高いソフトが出てきていて、色々遊べるようになってきているわけです。またそれに付け加える事ができるオマケも充実しているわけです。自分が好きなクラブミュージックと言われるものには、繋げる事を前提としている部分が存在していて、そのためシンプルでリズムがわかりやすいけれど印象的なフレーズが入っている部分があり曲の前後が長い作りをしているわけです。自分がDJの面白味としてその部分の混ぜ方の妙にはまってしまいなんだかんだで20年以上経つわけです。
まぁ使えるものはなんとやらというわけで、色々あーでもない、こーでもないとやってみた結果を外に出してみようと思っていざUPしてみたら見れないとか、何事かと思うわけです。(自分でも信じられないヒット数の動画が1件あるのでなんとか2匹目のドジョウがいないかと試行錯誤しているのです(笑)

youtubeのしっかりしているところは、版権に抵触してる部分があるとこういう理由で問題だよと教えてくれるわけです。でそれには段階があって問題になるかもしれないって場合と見るのに制限がかかる国がある場合があるのです。
今回問題だった部分は原曲ではなくてリミックスしたトラックが版権を主張していて制限がかかったわけです。
で思ったのは、オリジナルが好きでリミックスを作ろうとしたのであって、問題になった音源は聴いたことがありますが、何の琴線に触れるものでは無かったことに、色々難しいなと思うわけです。
オリジナルの版権者からそれはちょっとと言われるならまだしも、その作品のリミックスじゃないかと。
まぁ意識の問題なので難しいところではあるのですが、これだけ簡単に情報が引き出せる世の中になってオープンソース化の問題は未だに何も進んでいないのだなと実感はしました。
まぁパクリと二次創作の境界線も何とも言えないのですが、自分の定義はそれにリスペクトが有るか無いかなのですが、法に触れると言われるとどうしようもないですね。
版権フリーの音源で劣化コピーの作品を使え的なことがありますがむしろそちらの方が問題のような気がしますがそれはまた違う問題も含んでいるので、また別の機会に譲りますが、自分がいいと思うものを良い状態で聞いて欲しいけれど、興味を持ってもらうために色々見せ方があるだろうって話なんですがね。

愚痴はこの程度にしておいて今回の動画の説明でもしてみようかと思います。
今回の動画はある方に頼んで画像というかイメージをつけてもらいたいなと思い作ったものです。裏テーマではないですが使った曲に何となく共通点があったりします。レインボーフラッグの意味がわかる方はぜひ語り合いましょう。ちなみに自分はストレートですがカルチャー的な部分で色々リスペクトしています。

テレビをほぼ見ないのでインターネットで色々探し物をしていると映像or画像がない音楽作品はかなり少なく、ラジオの時代から比べるとイメージ付けがやりやすくなったのはありますが、玉石混交にの混迷度が高まったのも事実だったりします。
安直にエロい写真のサムネイルで釣るのはよくある手なんだけれど、そこは天邪鬼気質なのでそれはしたくないし、なんかいい絵描きいないかなぁと思っていたわけです。そんなこんなで音源はあるけれど動画どうしようかなぁと思っていた訳です。たまにしか飲みに行かない自分がたまたまあった人が絵描きですごく気になるタッチの絵を描く人とか、世の中は面白いなと思いますよ。それで時間と曲の感じをを伝えようとUPしたら隔離されるとか、、、
リハーサル的に問題点の洗い出しができたのは良かったのですが問題部分を色々手直ししたらどうも要らない事をしたみたいで、音が揺れてような箇所がありました。最悪それも抜いて作り直しも考えてますが、区切りはどこかで付けないといけないので思案中ではあります。動画の話はこの辺で(今回のテストも一枚絵ではあるのですが、すごくゆくっり動いていて一応動画なのです)完成品はUPしたらお伝えしたいと思います。

閑話休題

自分のようなネット依存の人間には最近のストリーミング配信サービスが非常に便利な訳です。以前は週1でGEOに通っていたので料金的にも時間的にも節約できて非常に便利です。最初は利用しやすかったGEOのサービスを使っていたのですが画質が悪すぎて、(サーバーの回線が遅い?)見れたものではなかったので、ネット依存に御用達のamazonを使って見たら、資本力があるところはサービスもしっかりしていますね。マイナーな作品の字幕に若干問題があるとき(縁取りのない細い白い文字で明るい場面だと全然読めない)がありますが、とりあえずは問題なく見ることができ、字幕はないけれど気になる海外作品も観れて快適です。まぁ日本のamazonオリジナル作品が自分にとって面白味のない大手広告代理店が絡んでいるような感じのものがあるのが残念ではあります。ストリーミングサービスはまだ色んな所が試行錯誤(ここでやるかって場面で絡みシーンが入ってくるゾンビ系ドラマや、やたらドラッグやヌードシーンが入るオーケストラものとか)しているので、まだ伸び代はあると思います。
レビューも書いたりできるので、色々楽しいですね。
ただ思うのは映像作品のレビューにネタバレも含むあらすじを書くのはやめて欲しいのと(そんな事しちゃう人だからレビューも意味不明だったりしますけれど)販売のレビューも一緒に載っていて作品のレビューに配達が遅いから評価が低いとか意味がわからない事になっていたりします。自分がいいと思った作品に低評価がついてて何がダメなんだろうと思って読んでみたらそれだった時のガッカリ感は残念でなりません。また全然面白くなかった、意味がわからなかったとだけ書いていく若年層的なレビューも掲載する意味がないと思うのですよ。嗜好と合わなくて面白くないのはしょうがないとして意味がわからないのは経験値のなさからくる感想であってなぜそう思うのかの理由がないものは批評ではないと思うのです。ツイッターの逆で最低140文字は書かないとレビュー掲載しないぐらいの方がいいと思いますよ。
最近はレビューを記入する欄に注意喚起の表示がされるようになったので、対応の速さや改善点の処理等、そんなことも含めてamazonは企業として伸びてんだろうなと思わせられます。流通の問題や就業環境の問題等はあるようですが、成るように成るのはしょうがないかと思ってたりします。
結局は企業も利用者もモラルの問題だったりします。

ここ数年感じる事は、その地域で発達した哲学を全てに当てはめようとする事の愚かさですかね。物事は白か黒かなんてそんな単純ではないし色彩は白か黒だけではない事(白・黒に彩度はないですけどね)に気づけばもう少し考えなければならない事に気づくと思うのですよ。
言葉が伝える事に限界があるとしても何もしないよりはマシだと思うのです。
自戒の念も含めて硬直した考えは未来が見えないと思うし、何より楽しくないと思うのです。苦楽で物事を決めるのもどうかとは思いますが、何事にも動じない強固な意志を持ってる人なんてよっぽどの経験をした人でもないといないだろうし、便利な事に流れる方が大多数なのは現在の状況を見ればわかる事だし個人個人にそれぞれ個人のルールがある事に気付きにくいのも色んな状況から分かるのだけれど、
気付く必要があるまで気づかないのが大多数だし、気付いた頃にはもう遅いってのがジレンマではある訳ですしね。だからどうしたって話なんですけれど、できた人から早く亡くなるのは悲しいなぁとボブ・マーリーのドキュメントを見て思った訳ですよ。やっぱり英語は理解できた方がいいなとこの歳になってつくづく思いましたよ。amazonプライムは中々良いなと思ったしインターネットは視野を広げる一助になるけれど自分の目で見てくることも大事なのも実感してきたし、中々面白い時代だなと思います。

帰国後の近況、その他

やっと頭の中が落ち着いてきたので、近況を兼ねて今回の旅行で感じた事、帰ってきてから感じたを綴ってみようかと思います。
支離滅裂なのは、仕様なのでよろしくお願いします。

1998年に2ヶ月ほどフランス南部で過ごした事がありその時感じたものとは、若干感じが違いました。

行った場所が違うとか、
季節が違うとか
年齢が違うとかを加味しても、
現在のアムステルダムに日本の文化的何かが浸透するほどの力を感じないのです。

テクノロジーでは日本はもう先進国ではないし、wwwの広がりに伴った志向の細分化によって、コンテンツとしてのカルチャーを打ち出すほど力も持てなくなってしまったこともあるのではないかと思います。
情報を発信する事の簡略化が進み、情報の正確性の低下とそれに伴う無意識な情報の編集や、検索することで、まるでそのことを理解したような勘違いが多くなってきてしまいました。

ネットの万能性を期待した事もありましたが、ビジネスのツールとして発展した側面が強い日本のインターネット上では情報のオープンソース化が進まず、情報公開の統一ルールもない状態の未成熟な情報源としか機能していないのは、事実を多角的に検討する事も難しくしている気がします。
海に囲まれた島国の日本では共通言語として英語の必要性が薄く教育が効果的ではなかった事も関係しているのかもしれません。

クリエイター・アーティストと呼ばれる人たちが英語を使える事で、可能性が広がるんじゃないかとは前回同様、再認識したのは変わりません。

一方無理に海外に出ずにガラパゴス化する事もありなんだろうなとも感じました。



天気の話から

なかなか1日天気が良いことがなくて、日照時間も短いので、外をボーと見ていることが多くなりました。住人とは相変わらずコミニュケーションがうまく取れてないですが、うまくやっているように思います。

 変な人なので飽きません。早いテクノが好きなのもいいです。

日本で自分の周りに「テクノ・ミュージュック」が好きな人がほとんどいなかったように思います。
よくわからないエレクトロミュージックをオランダの田舎で聴けている生活てのも面白いし、ミックスのバランス取りで悪戦苦闘してるのとか見てるのたのしい。見回すかぎり水平線とかすごいシチュエーションで、
自分が知らない、聞いたことがない曲を聴ける文化に素直に脱帽するよ。

陸の孤島

天気が悪いのと
歩くしか選択肢がないので全然外に出れません。

でもそんなに陸の孤島と言い訳ではないようです。

しかしこっちの人たちは傘をささない。
結構な雨でも平気な顔なのである。
文化の違いはおもしろいな

もう10日ほど経つのですが

金がもったいないので、ちょっと田舎に部屋を借りました。
猫付き、変わった住人(相手にとっても変な奴になると思うが、、、)

結構せまい自分の部屋は、子供部屋で、そこの元住人らしき2兄妹もたまに来ます。

可愛い。

 

周り360。水平線

ロケーションは本当にすごい、宿としては結構やばいレベルだと思うけどもね。

ホームステイならこんな感じなのかな。まだ初日だから子供らもまだ大丈夫。

気楽でいいわ。

全然言葉を理解していないくせに適当にokばっかり言っちゃうな。